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耳つぼ療法の歴史

耳つぼで不調を改善するという方法の始まりは、今から約2000年以上前になります。

日本では、弥生時代に入った頃の中国最古の医学書「黄帝内経」の中の「霊枢」に「耳介の静脈を刺せば痛みをとめることができる。」との記述があるそうです。この「黄帝内経」は、「素問」と「霊枢」の2部構成となっており、「素問」は、ツボ(経穴)、経脈、気、血などの東洋医学の基本概念が陰陽五行説に基づき記されている理論書です。一方、「霊枢」は、診断、治療、鍼灸などの実践としての医療技術が記されています。

つまり、耳つぼ療法は、もともと東洋医学に基づき開発された療法という事になります。

では、日本に東洋医学が伝わってきたのは、いつ頃でしょうか?

それは、古墳時代の初め(5世紀半ば頃)だと考えられています。中国から直接伝えられたり、朝鮮半島を経由して伝えられたようです。その後日本独自の診断や処方が加えられ、江戸時代に最盛期を迎えました。しかし、明治以降、日本政府がドイツ医学を正規の医学として採用したため、日本での東洋医学は少しずつ衰退していきました。しかし昭和に入り、エキス剤や顆粒の漢方薬が作られ、再度、東洋医学が脚光を浴びるようになりました。

このように、現在の日本の医学は、西洋医学と東洋医学が混在した状態です。西洋医学は、対処療法。東洋医学は、原因療法。と言われます。ですから、最近では人の自然治癒力を助けるための療法である、東洋医学を取り入れる人が増えているのが現状です。2001年、明治以来120年ぶりに医学部のカリキュラムにも、導入されるようになりました。

次に、耳つぼを解剖学的見地からまとめた方をご紹介しましょう。

それは、意外にもフランスの神経科の医師ポール.ノジェ氏です。1957年の事です。日本は、戦後の高度経済成長の時です。彼は、「耳と人体の関係耳介療法(Auriculo Therapyオリキュロセラピー)」の論文をドイツの針灸学雑誌に発表しました。それによると、疾患の部位にあたる耳の圧痛点に針治療をすると、その疾患に効果がある。反対に、耳の圧痛点から患部を知る事ができると報告しています。現在でもフランスの医学部では、耳介療法を教えているそうです。

では、西洋医学の分野で耳つぼに注目したのは、ポール・ノジェだけでしょうか?

なんと、古代ギリシャの「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスも、「耳背の静脈を切ったり焼灼して、坐骨神経痛を治療した」ということを1636年ポルトガルの医師ザクタス・ルシタアニスが紹介しています。この療法は、7世紀(日本では聖徳太子の時代)以降に、ポルトガル・イタリア・スペイン・フランス等の地方で、民間療法として細々と続いていたそうです。ポール・ノジェ氏は、この民間療法に興味を持ち、耳と人体の関係に興味を持ったと言われています。

 

 

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