祈りは役にたつのか?
祈っているだけでは、困っている人の何の役にもたちません!
私の目は点になった。
この言葉は、千年ノートを教えてくださる師匠のお言葉だった。
神社のこと。
ご先祖様のこと。
「祈り」の大切さを教えてくださった師匠の口から出るとは???
びっくりした!
違和感を覚えた。
でも、すぐに別のところから納得のいく答えをもらえた\(^o^)/
祈りは役にたつのか?
並木良和先生のメルマガより
祈りは、気休めではありません。
確実に、祈りの対象に想いやエネルギーは届き、作用することになります。
何ができるかを考えて悩む前に、まずは祈りましょう。
それは、何ができるかの具体的な行動を導き出すアクションにもなるからです。
祈りは、行動へ繋がっていく!
これは、とても腑に落ちた。
祈りは、想い。
祈りは、思考。
ということだ。
つまり、エネルギーであり波動。
引き寄せの法則の通り、思考していることを引き寄せるということ。
思考していることを現実にしようとするヒントがやってくるということ。
これが、祈りは、行動へ繋がっていく!のだ。
そして、もう一つ。
祈りは役にたつのか?の答え
絶妙なタイミングで、釈 正輪という和尚様にお会いした。
そこで、とても興味深いお話を聞いたのだ。
釈迦とキリストの最期について。
釈和尚曰く
釈迦は、多数の人に説法をする予定があった。
そこへ、貧しい人がお礼を渡したくてイノシシの肉を料理してお渡しした。
本来、お釈迦様はお肉は食べないのだが、せっかく持ってきてくれたのだから。
といただいた。その後、病気になり最期を迎えることとなる。
ここで、神仏へ「祈り」を捧げ助けていただくこともできたはず。
そして、神仏も助けることはできたはず。
キリストは、ユダヤ教のあり方を批判し人々に神の教えを説くなどしていたとされ、反逆者のみが受ける十字架刑にされる。
しかし、キリストは決してそのような教えを説いていなかった。
それを、伝えることはできたはず。
祈り、刑を免れることもできたはず。
そして、神も助けることはできたはず。
しかし、釈迦もキリストも、祈っただけで助かるのでは、人間として生きる者の成長がなくなってしまう。
と考え、祈ることはしなかった。
そして、死を受け入れた。
そこに、とてつもなく大きな愛を感じた。
釈迦もキリストも身をもって、生きることの大切さを教えて下さっている。
と感じた。
祈りは、愛のエネルギーなのだと感じた。
「祈り」は、意乗り。
とも言われる。
今回のことで、困っている人に愛のエネルギーを持って接することが大切だと想った。
そして、愛のエネルギーを乗せて「祈る」ことにする。
そして、釈和尚は伝えてくれた。
「どうして生きるのか?」
その答えは、「生きているから生きるんだ!」
今、この瞬間を楽しく生きる♪それだけでいいのです。
いつ死ぬかわからない。だから後悔のないように…♡